こんにちは。

今日はセブンスウェルのヒロヒナではありません。クラクラとは一切関係のない記事です。

仙台で生まれ仙台で育ち、今も仙台で暮らしている一人の人間として失礼します。

東日本大震災から今日で丸5年が経ちました。

この5年間で数々のご支援、本当に心より感謝を申し上げます。

皆様のご支援とご厚意がどれだけ我々を助け、勇気付けてくれた事か・・・

この場をお借りしてもう一度深く御礼を申し上げます。

そして、あの震災により犠牲になられた多くの方々に対し、追悼の意を表させていただくと同時に、ご冥福をお祈りいたします



これより先は、場合によっては気分を害する方がいらっしゃるかもしれない内容になっております。

本来ならこんなブログに綴る内容ではありませんが、あの日の事を忘れない為に、あの日から5年経った僕がどんな思いを抱いているかを、形として残す事を目的に書いた内容です

続きを見る方は自己責任でお願い致します


もう一度言いますが、クラクラとは全く関係の無い記事です。興味の無い方は他の方のブログをご覧になられる事をオススメします



ここまで読んでいただいて ありがとうございましたm(_ _)m





































あの日から5年が経ちましたね

家の周りの景色は随分と変わりました

僕たちが育った地区はドンドン人口が増えてきて、今では子供の人口が増加している、市内でも数少ない地域になりました

その代わり、同級生の家が何処にあったかわからないくらいに周りの家や建物が変わっちゃったね

昔の感覚で小学校を目指すと迷子になるくらいにww


去年の年末には、ようやく地下鉄東西線も開通して、家から動物園までが凄く近くなりましたよ


でも

子供の頃に自転車に乗って兄弟三人でよくいったあの海水浴場は、町並みもろとも無くなりました





今も、あの海を見る事は出来ません



あの日、多賀城のイオンの屋上から見た、津波が押し寄せてくる光景を忘れる事が出来ません

「津波なんか来ないからもう仕事にもどるわ!」

そう言って、屋上のスロープから降りていった人達が、津波に飲み込まれた瞬間が目に焼きついています

暗くなり、全ての灯りが消え、港のコンビナートが爆発して燃え上がる光だけが異様に輝いていた頃

津波で流され、ガソリンスタンドの屋根の上で助けを求めていた女性を、イオンの中で探した子供用のプールをイカダ代わりにして、名前も知らない人たちと一緒に救出した事を忘れられません

夜が明けてすぐに、波が引いた後の凄まじい光景を忘れられません


そして、朝になってから、次兄と一緒にあなたを探して、警察や自衛隊の制止を振り払って見た荒浜地区の光景は、まさに地獄絵図で、今も忘れることが出来ません



それでも、僕は、今を生きている


たくさんの方々の悲しみの上に立ち、たくさんの方々の支援に支えられ、今を生きている






生きていれば、良い事も辛い事も、結婚も子育ても、まだまだ楽しいことがあったよね

あの日から僕と次兄は「絆」が深まりました あんなに中が悪かったのにね・・・

色々あって、僕が家に入ることになったけど、あなたの事も、次兄のことも恨んではいません

ただ1つだけ悔やまれるのは、津波が到達するまでの50分程の間に、あなたと電話が繋がっていれば、すぐに車であなたの職場に行って、津波が来る事を伝えることが出来ていれば!




あなたがとても可愛がってくれていた僕の長女も、4月からは幼稚園の年長さんです

あの時はまだ生後10ヶ月で、モタモタとつたい歩きをしている長女を、目を細めて見ていたね

あなたに見せることが出来なかった次女も、5月には2歳になります

僕はあの日の2ヵ月後に、僕たち3人の母校で働くことが決まって、今も頑張っています







今はただ、1年でこの日だけは、6歳離れた僕の事をとても可愛がってくれた、あなたを想います

あなたのぶんまで強く楽しく生きていく事を、あなたに誓い、母に祈るばかりです





まだ5年

もう5年

長かったようで、短かったような5年




辛い事も、悲しい事も、生きている証として楽しめる心の広さを

相手の弱さを受け入れられる優しさを

自分の弱さを相手に見せられる強さを

大切な人達を守れる強さを


あなたのぶんまで、求めていきます





この場をお借りして

最愛の長兄の冥福を祈らせていただきます